2月13日アップの「Michael Fracasso is coming to Japan!!!!」でもお伝えしたように、
4月に日本ツアーを行うマイケル・フラカッソ。
昨年、最新作「Pocketful of Rain」 (Texas Music Group)を発表した際に、アメリカで最も有名なロック評論家デイヴ・マーシュがオースティン・クロニクル紙に「Working-Class Hero - In search of Michael Fracasso, his audience, and his niche」という文章を寄稿しました(その記事はフラカッソのウェブサイトからもリンクが貼られています)。
長い記事なので、全部翻訳している時間も載せるスペースもありませんが、旧知のマーシュ本人から一部の翻訳とコンサート宣伝のための使用の許可をもらいました。
フラカッソがどんなアーティストかを説明している部分を数段落だけ抜き出して、ここに掲載します。ほんの一部ですが、ご容赦ください。
「労働者階級の英雄/マイケル・フラカッソと彼の聴衆、彼のための隙間を探して」
(抜粋) by デイヴ・マーシュ
フラカッソはオースティンに15年間住み、その街で崇拝されるアーティストたちの幾人かと音楽を作ってきた。チャーリー・セクストンはバンドのメンバーだったし、フラカッソのアルバム数枚をプロデュースしてきた。パティ・グリフィンは新作「Pocket」にも全面的に参加しているが、フラカッソとは定期的に一緒に歌っている。彼はアレハンドロ・エスコヴェイドと地元の3年生たちと一緒に 〈The Big 1-0〉を書いた。彼はウディ・ガスリー・トリビュート・ツアー「Ribbon of Highway, Endless Skyway」に不定期ながら参加して、ジミー・ラフェイヴ、イライザ・ギルキスンなどと共演している。しかし、それにもかかわらず、マイケル・フラカッソはオースティンのとっておきの秘密のままである。
何故彼が秘密のままなのかは誰にもうまく説明できない。フラカッソは優れたミュージシャンができなくてはいけないことは何でもできる。彼は物語と性格描写と警句を聴き手に差し出す歌詞を伴ったとてもメロディックな曲を書く。彼はすごいギターを弾く。彼はソロのショウを見事にこなす一方で、一流のバンドリーダーでもある。グループと一緒の彼の演奏を聴くのが一番良いけれども、その意見を誰もが支持するわけではない。
何よりもマイケル・フラカッソは並はずれた歌声の持ち主である。その澄んだハイ・テナーは曲を推進させることも浮遊させることもできて、60年代のビート音楽に影響を受けた作品やカントリー・ブルーズに加え、時折自分のセットに含めるフォーク曲(彼は素晴らしい〈John Hardy〉や聴き手を唖然とさせる〈1913 Massacre〉を歌う)にも良く合う。彼の歌唱はお決まりのようにロイ・オービスンとバディ・ホリーに比較される。だが、フラカッソ本人はニュー・ヨークに住んでいたときにジーン・ピットニーの〈Only Love Can Break a Heart〉を聴いた日のことを話す。
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今我々はフラカッソにいるべきはずの聴衆の謎を追跡している。音楽の世界はニッチ・マーケティングの場所になってしまった。フラカッソはやろうと思えばバラード・アルバムを作れる。その次作はロック・アルバム、その次作はトラディショナル・フォーク・アルバム、そして、その次作はガイ・クラークの「Dublin Blues」以降では最高のシンガー・ソングライター・アルバムを作ることもできるだろう。もし彼がそうしたら、つまり彼の技巧のすべてをひとつのジャンルに集中させて、それぞれが他とは異なったアルバムを作ったら、それは彼にもっと多くの聴衆をもたらすだろうか? たぶんだめだろう。
たぶんそれは様々なスタイルの組み合わせからアルバムを作ることよりも、彼のアイデンティティをさらにもっと曖昧にするだろう。さもなければ、たぶんそれらの内の1枚がヒットして、彼が次の興味に向いてしまったとき、今より多くの聴衆はとまどい、また去ってしまうだろう。
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マイケル・フラカッソの謎の解決は、(エドガー・アラン・ポーの)「盗まれた手紙」の謎のように、すぐそこの目の届くところにある。それにはその詳細に注意を払うことが必要とされる。つまり、実は全然謎ではないのだ。そこにいるのは素晴らしい才能を持つという事実を我々に面と向かって叫ぶことなく、その才能をめいっぱい発揮している男。最高の状態の彼に僕らが張り合えると信じるに足るだけ聴衆のことを考えている大した人物なのだ。さあ、何を待っているんだい?
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